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FILE No.02 : 人間関係について


 殆どのみなさんは “人間関係” というものはどのようなものだと考えているでしょうか?
かつてテレビ番組では “人” という漢字を黒板に書いて諭す人や、無人島で1人生活する人を紹介したりして、
人間関係を改善するヒントとなるノウハウを啓蒙しています。しかし、実際では人間関係に悩んだりトラブルが
発生したり…、またそれだけではなく、“鬱病” や “訴訟問題” に発展へ…と残念なことが多くなってきたように
思います。

 とかく私の周囲を見渡してみると、「友達だと思っていたのに!」
「家族って何?」…などという関係性・信頼関係の温度差や、
「相手より自分」…などという自己保身・自己中なことが原因の
トラブルが生じているように思います。

   確かに人間関係の定義は、人それぞれです!

だからこそ、会話を繰り返し、お互いを尊重しながらイイ人間関係を
築くことが大切になってきます。

 さて、今回はその “肩書き” に注目して、言葉の持つ定義の面から迫っていきたいと思います。
 自ら人体実験している私は、人間関係をも “仮に” と定義して行動しているのですが、思った以上にトラブルも少なく、
今のところ Better な方法なのかなぁ〜と思ってます。
 一例としてみなさんに紹介したいと思いますので参考にしてもらえれば嬉しいです。


(1)言葉の基準や範囲をハッキリと定義しておく。

 言葉の意味自体は辞書をご参照していただくとして、私は “仮に” の形で「マイ定義」を作っております。

  「常識」… 時代・場所に関わらず至極当然のこと。
  「普通」… (1)客観的に中程度なこと。
        (2)大多数(95%以上)に当てはまること。

  「恋」…… 相手の都合は関係無く、自分が好きになること → 自分軸・自己満足。
        ([好きなモノ]+[独占欲]=[恋]とも解釈)
  「愛」…… 自分の都合は関係無く、相手を大切に思うこと → 相手軸・自己犠牲。

   ※ ちなみに「恋愛」は、「大小・高低…」などと同様、逆の意味を持つ漢字の組合せの熟語…だと
     思っています。
       (例) 父:「息子を愛している」 → イイお父さん
           父:「息子に恋している」 → 変態オヤジ

 すると、「昭和生まれならピンクレディを知ってて常識じゃない?」とか「普通、大学は行ってるもんでしょうが!」
なんていう言葉は、外国人や室町時代の人には当てはまらないので “偽” とする方が良さそうです。
 このような言葉を聞いたらイチイチ自分で真偽を判断する…という習慣が必要です。

※ この「マイ定義」は、その後の経験や情報によって、より納得できるものに “変化” させても全然 OK なんです。
  いろんな事をいっぱい観察して「マイ定義」を積み重ねるのも、なかなか楽しいものです♪

(2)人間関係の “目的” を明確にする。

 人間関係を持つ必要性は、ズバリ「自分が知らない・出来ないことを教えてもらい共有できる」所に醍醐味が
あると思います。相手にとって自分が役に立たない人間ならば離れていくだけです。
私の知り合いの1人は「友達を5種類作りなさい」と説いてくれました。

  @お金に相談できる人
  A精神的に相談できる人
  Bセックスの相性がイイ人
  C自分の好みのタイプな人
  D誰から見ても羨ましがられる人

 人ってのは@だけ、Bだけ…とは限りません。AB、@Dなど複数を持っている人も存在します。
5種類全部が揃っている素晴らしい人なんて、干し草の山から針を探すようなものです。
人間は誰だって一長一短があり、だからこそ、上記の5種類を揃えるためには結局20人ほどに達したりします。

 そして同時に、相手からしても自分自身もこの@〜Dのどれに当たるか…も評価されます。
 人間関係は飽くまでも “お互いさま” なのです。

(3)“肩書き” の基準も設定する。

 本来私は “肩書き” という言葉は使いたくないのですが、会話の中でよく尋ねられるので「マイ定義」の基準を
いつでも話せるように設定しています。
 (@<A<B<C<D<E で人間関係は濃厚になります)

  @他人………自分の人生に関係無い人。接点が無い人。(例:電車の客)
  A知り合い …お互いに接点がある人。かつて接点があった人。
    ※ @・Aは「死のうが生きてようが自分には無関係な人」です。

  B仲間………特定の行為・考え方においてのみ共有できる人。(例:野球仲間)
  C友達………お互いに相談し合え、心配し合い、助け合える人。
    ※ 例えば、自分が「ABC」、相手が「ADE」という考え方・価値観がある時、
       ・「A」だけで共有する人間関係         → B仲間
       ・自分は「ABC」を主張して相手が「BC」を聞き、
          相手が「ADE」を主張して自分が「DE」を聞き、
          お互いが「ABCDE」を共有できる     → C友達

  D親友………お互いに人生を共有できるような存在。
  E家族………(1)第3親等くらいまでの親族。
          (2)空気のような存在。(いなくなると急に困る)

(4) 上記(3)“肩書き” の基準での注意事項

●セックス関係は別次元とします。

 上記の人間関係が濃厚になるにつれてセックスレスの傾向があります。逆に言うと「自分にとってセックスができる
人なら人間関係は薄い」ということになります。
 現に、相手の名前も知らない時点でさえも好みのタイプであればセックスはできます。 セックスは飽くまで「好みの
タイプ」であって「愛情」の深さとは比例しません。
 よってD・Eには「恋人・婚約者・相方」などは入りません。

●憎悪・怨恨は別次元とします。

 「自分は好かれたい」という気持ちは誰にでもある常です。しかし何かのきっかけで「自分が好かれていない」と
思い始めると、急に攻撃的になったり、自己保身に走りライバルを作ったり、自分よりも低いレベルの人を
蔑ろにする傾向があります。 またそれによって関係が悪くなり憎悪・怨恨が生じたりします。
 飽くまで蔑ろにすべきは、客観的に考えて「社会に対してだらしない人(=失礼・犯罪)」に相当する人です。
 ま、失礼・犯罪には 「自己防衛策」を講じる必要も出てきますが…。

●仕事関係は別次元とします。

 顧客・同僚(上司・部下)・お得意先・師弟関係(先生・生徒)…などのオフィシャルな人間関係もありますが、
上記(3)は飽くまでプライベートでの関係について…ですので別次元とします。

●肩書きをわざわざ正直に出力しない。

 誰に紹介するにしても、相手をB〜Eを細分して紹介すると、人によっては誤解したり勘ぐられたりして
トラブルの原因になったりします。 私の場合、どんなに親しい人間関係でも「友達」、親しくない人間関係でも
「お知り合いさん」程度に紹介し、「恋人・愛人・特別な人・どうでもイイ人」…などとはイチイチ出力していません。
 本心は自分の心の中にしまっておきましょう。

 人間関係の “広く浅く” は、「社交辞令・建前」の範囲内での人間関係であって、「A知り合い → B仲間」程度で
十分だと思います。相手に深入りしたり、自分を晒し過ぎたり…は必要ありません。



 ・・・いかがでしょうか?
 とかく、自分の点数を下げないためにも「建前(=姑息:その場限りの方法)」を使って相手を安心させる方法も
あるでしょうけど、何よりも「人間関係を良くしていく」ことは「自分の引き出しを増やすこと」にも繋がります。
 よりよく生きるために、お互いに得意分野で利用し助け合う技術は磨きたいものです…。







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